福岡: |
田上さん、何か?
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田上: |
笹岡さんは、しがらみを避けるために棚上げしたとおっしゃった。奥村さんは、当たり前のこととして認識しながら棚上げにした。すごい食い違っているように聞こえるんですが。
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笹岡: |
じゃなくって、お金のことを考えるのがしがらみになる。また考えたところで儲かってないのも当たり前。
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田上: |
お金のことを考えなくてはいけないという意識はあって、あえて考えないということではない?
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笹岡: |
ちがいますよ。お金のことを表現とは切り離して考えようということです。
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田上: |
とりあえず、儲からないのは当たり前のことだからがまんする。それはどうも食い違っているんですよ、やっぱり。
奥村さんの認識されていることを、CASとしては見ないようにしよう。しがらみにはかかわらないでやっていこう。 そうすること自体が、さっきおっしゃったアーティスト・イン・レジデンスとかで出会ったアーティストとか、そういったアートが生まれてくることを阻害することになるんじゃないですか。
生活の中にアートが入ってくるというのは、アーティストがどっかからやって来るということもそうですよね。 それはボランティアの方はみんな少しづつ身銭を切ってやっていることなんですよ。
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笹岡: |
僕がお金のことを言っているのはもちろんそこらへんの事を指して言っているのではない。 お金は絶対要るわけですよ。お金がゼロでは絶対できない。そうじゃなくって作品の売買のことを言っているんです。
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田上: |
作品の売買という部分だけに対してなぜそんなに神経質になるんでしょう? 売買だけがすべてだと誰も言っていないし、こういう場において作品売買がしがらみを招くと発言する作家の意図がわからないです。CASで作品売買はしないことの理由のひとつとしてしがらみ云々を持ち出されることは非常に残念です。 儲からないという決めつけにも同様にそう感じます。 じゃあ儲かればいいのかという問題ではないのですから。 「しがらみ」とおっしゃったけれど、その作品売買を通じてできる人間関係についてもっと考えてはどうでしょう? それすら棚上げするのなら、私はとても場違いな所にいることを感じます。
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笹岡: |
ちがいますよ。そういう風に決めつけること自体が、僕はヨーロッパの美術っていうものの制度のありかたを鵜呑みにしていると思う。それはアートシーン、すなわち社会的な制度の話でしょ。そうじゃなくって、美術っていうのは根元的に、自分たちが観たい観せたいっていう欲求がそれ以前の問題としてあって、そこだけでもできるんじゃないかと。それは、作品を売る事っていうこととはもっと違う方向があるかも知れないということでもあるんです。誤解しないで欲しいのは、CASは画廊じゃない。ただ、画廊でないという言い方がわかりにくいから、売買をしないと言っているんです。ここは美術を見せるためのひとつの方法だということです。
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